エスプレッソ山食であんこと苺のサンドイッチ
2016年 02月 29日
日曜日に焼いたエスプレッソ風味の山食で、あんこたっぷりの苺サンドで
お手軽朝ごはんです。
いつも純太郎に温かいもの・・・とか
たんぱく質を・・・・・とか
お野菜を・・・・とかそれなりに、そこそこ考えて食事を準備しますが、
たまにはこんな気軽な感じでもいいか・・・と思って。
あんこたっぷりクリームたっぷりでも、苺の甘酸っぱさで軽い軽い~。
食べ過ぎ注意です。
プレーンの角食でももちろん美味しいですが、エスプレッソの風味がなかなかあんこや苺と合います♪
純太郎はもちろん気に入った様子ですが、シンプル好きな純ちゃんも、たまにはいいね!!って具合に食べてくれたようです。
何にも考えず、食べたいものを作る。
食事係の母もたまにはこんなふうに息抜きしながら行きましょう~(笑)。
そうそう、私はドライフラワーが大好きなんです。
どうしてかって、作り始めたときはもちろん咲いているときの花の色なんですが、出来上がると薄かった花の色がいい具合に深まったり、濃い色は更に深みを増しながら少し退廃的な雰囲気を出したり、想像もしていなかったような出来上がりになるから。
また、咲いているときはあんまりだった花が、すごく綺麗に面白く仕上がったりもします。
その、将来どんな風な雰囲気をだしてくれるんだろう・・・という期待感がドライフラワーを造る過程にはあります。
こんなドライフラワーを見ていると、今まで自分が過ごしてきた人生の中での様々な経験、すべてを受け入れられるような気さえしてきます。
もう少し若かったというか、ついこの間までは、苦い経験を、もう思い出したくないなあ・・・なんて思って、記憶の隅に追いやり、なるべく思い出さないように思い出さないようにしてきた気がします。
でも、最近できあがったドライフラワーを見ていると、あんまりだった花が日に日に色を変え、いい挿し色になったり、地味な花が全体をふんわり包み込む効果をもったり、そんな一つ一つの花の意外な部分を発見できるようになりました。
そうすると、何となくですが、今までの自分の嫌な経験や苦い出来事、無駄だったと思うようなこと、そんなことすべてが、挿し色になったお花や、鮮やかなそれぞれの花を調和するような役割をしている花、そんな花たちと重なり合って、私の辛かった思い出したくなかった出来事が、まるで今の私を生き生きと私らしくしてくれるような事であるかの様に感じるのです。
無駄なことなんてない。
そんな言葉って理想だし、詭弁だ、そんなふうに思ってました。
でも、最近本当に無駄なことなんてないのかもと思えてきました。
無駄だとすれば、無駄にしているのは自分自身だったのかも知れません。
地味なドライフラワーなんて、ただ枯れているだけじゃないって思ってしまっていた自分が、最近は他のお花たちと合わせながら、バランスのいいブーケを作って楽しめる、時間の経過を見守ることができるようになったのでしょうか。
植物がどんなドライフラワーになるのか、その姿を楽しみながら
昔の自分、今の自分、そして将来の自分
思い出したり、想像したり、夢見たり、
そのお花や植物の姿に自分の時間を重ね合わせて、
これからもそんな時間をすごしていければいいなと思っています。
では、機会があったらドライフラワー、紹介したいと思います~♪
ではまた~